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【るふ】No.137「罪を償う」「罪を滅す」「ねずみ小僧」 平成8年9月1日発行
 
罪を償う
昨今、新聞・TV等でさまざまな犯罪のニュースを目にします。しかもその行為は年々悪質化、凶悪化しています。
「懲役○○年、罰金○○円」といった判決が下され、それに従うことによって「罪を償う」とされるのですが、服役したり、お金を払うことだけで罪を償ったといえるのでしょうか。
仏教では、法律に触れる触れないにかかわらず罪になることがあります。たとえば、「他人に憎悪の念を抱くこと」や「むやみやたらに物を欲しがること」なども罪とされます。しかもそういうことは私たちの心にいつ、何度となく生じてくるものです。ですから人が生きていく以上、罪を犯さないことはないといえます。
それではいかにしてその罪を滅していけばよいのでしょう。それには犯した罪を認識し、反省し、その反省にたって今後に生かさねばなりません。私たち人間が決して一人の力だけで生きているわけではないことを考えると、すべてのものに感謝の気持ちを持って生活を送ることが大切なのです。つまり「反省」「感謝」「思いやり」が滅罪への第一歩で、その実践こそが、「滅罪」ヘとつながるのではないでしょうか。
仏教では「悪いことはしない、善いことをする」というのが基本理念です。わかりきっていることですが、それを実践することは大変難しいのです。なにが「悪」でなにが「善」なのか、それを見極める智恵を持つことが大切であり、その実践が「仏の道」といえます。
罪が少しでもなくなるように、「仏の道」を歩んで参りましょう。
罪を滅す
一般的に罪といえば人倫秩序を破壊する行為のことをいいますが仏教では悪い行為の結果 として起こる報いを罪報と呼び、それは現在だけでなく過去から未来へと受け継がれていくものと考えられています。
この過去、現在、未来という三世の関係について、お釈迦様は「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果 を見よ。未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」と説かれました。すなわち「自分が過去の世にどのような善業や悪業を積んだかを知りたければ、その結果 として現れている現在の姿を見なさい。また、来世がどうなるかを知りたければ、その原因となる現世での行いを見なさい。そうすればその結果 としての未来が推測できる」ということで、これを三世両重(さんぜりょうじゅう)の因果 といいます。
このように私たちは自らの行いを原因として、それにふさわしい結果と報いを受けながら生きているのです。そしてこれが仏教の根本的な教えである因果 応報(いんがおうほう)ということなのです。
例えば、日蓮聖人は一切衆生を迷いの世界から救おうとされ法華経を弘める際に様々な音難に遭われましたが、それはご自身が過去世において法華経を謗る罪を犯したからであると受け取られ、今生においてその罪を消滅するにはどのような苦難をも法悦と考え、その身命をかけて法華経を弘めることであるとされ、実践されたのです。
私たちの人生も苦難に満ちた人生といえるでしょうが、日蓮聖人のご生涯を手本として目の前に立ちはだかった苦難にうろたえることなく、おそれることなく、それを乗り越えたとき「これで罪がひとつ消された」と喜びを感じることができないものでしょうか。
誰がわるい?
皆さんご存知のねずみ小僧、こんなふうに考えて見てください。
「金持ちの悪徳商人」→お金を取られる→「ねずみ小僧」→お金を渡す→「貧しい長屋の源さん」


上の図は、皆さんご存知のねずみ小僧を図に表したものです。さて、この中で一番悪いのは誰でしょうか?・・・やはり、お金持ちの悪徳商人でしょうか。それとも、ねずみ小僧でしょうか。はたまた長屋の源さんでしょうか。

次の言い分をもとに考えて参りましょう!


-----金持ちの悪徳商人の言い分-----
「人をだましてお金を儲けようがなにをしようが一生懸命働いて今の地位を築いたのだから、誰に文句を言われる筋合いはないでしょう。だまされる方だって悪いんだ。人の物を盗むねずみ小僧の方がもっと悪いし、長屋の源さんも、努力もせずに、ねずみ小僧からもらったお金を使うなんてひどいじゃありませんか。どうなんですか?」


-----ねずみ小僧の言い分-----
「まじめに働いて稼いだお金ならともかく、人をだましてもうけたお金なのだから、盗まれて当然、ましてや自分のためでなく、人助けしているのだから仏様も目をつむってくれるでしょう。」


-----貧しい長屋の源さんの言い分-----
「悪徳商人みたいなものがいるから、まじめに働いているものが苦労をするんだ。そんな奴はお金を取られて当然、いい気味だ。その点、ねずみ小僧さんは仏様だ。ありがたや、ありがたや。」


----- が、しかし???-----
どうですか?それぞれの立場になって考えると誰が一番悪いのか答えを出すのに困ってしまいます。当然ながら、悪徳商人は、人をだましてお金儲けをし自分だけ甘い汁を吸っている。しかし、ねずみ小僧も悪人のお金とはいえお金を盗むことは罪である。長屋の源さんも、ねずみ小僧からもらったお金を、自分が働いて稼いだお金でもないのに使うのはおかしい。
こう考えると人は知らず知らずのうちに罪を作っているものではないでしょうか。現在に置き換えて考えてみても法律に触れない罪にしろ、一般 的な悪人にしろ、その人だけが悪いのではなく、それを取り囲んで生活をしている我々も何らかの罪を作っているのではないかと考えるべきでしょう。

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