![]() |
![]() |
|
【るふNo.148】「法華経のおはなし其の一、其の二」「善き友」 平成11年7月1日発行
|
|
法華経のおはなし 其の一
サッダルマ・プンダリーカ・スートラ Saddharma-pundarika-sutra 妙法蓮華経 |
| 「法華経(ほけきょう)は有り難い、信じるように・・・との事ですが、法華経の内容とはどういうことでしょうか?」というご質問のお手紙を頂きました。 法華経は文字数六万九千三百八十四文字あると言われております。ですから一言でこれを申し上げるのは無理な話でありますので、どこまでお答えできるかはわかりませんが、少しずつお話ししていきたいと思います。 「法華経」というのは略で正しくは「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」と言います。 原名は「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」といい、中国の鳩摩羅什(くまらじゅう)という方が、これを「妙法蓮華経」と訳されました。 法華経は全部で八巻あり、さらに二十八品、つまり二十八章に別れています。 「序品第一(じょほん)」よりはじまり「普賢菩薩勧発品第二十八(ふげんぼさつかんぼっぽん)」までです。 法華経を説かれた場所は、インドの耆闍崛山(ぎしゃっくせん)(霊鷲山(りょうじゅせん)ともいう)という山ですが、お釈迦さまは、このお経をお説きになるのに、七十二歳から八十歳までの八年間を費やされておられます。そして、この法華経を説き終わられると、すっかり安心されクシナガラの林の中で、お亡くなりになったのです。 法華経を説かれることが、お釈迦さまの一生涯の大事業だったからです。 お釈迦さまが、お悟りを開かれた三十歳より、このお経を説かれるまでに、四十二年かかって衆生(人々)の心を養育されました。これは、いきなり、悟りの境地という崇高な教えをといてもかえって人々は迷うだけだと思われたからです。このことを経典には、「困苦してわたくしが悟ったものを、いま解き明かすべきではない。貪り(むさぼり)と怒りに従う者たちに、この理法はよく悟ることができない。世間の流れに逆らい、微妙(みみょう)・甚深(じんしん)にして見がたく、かつ微細なる法を、貪り(むさぼり)にふけり無知の塊に覆われた人々は見ることができない」と書かれています。 よって、その生涯に説かれた教えは“八萬四千の宝蔵”と呼ばれる程の膨大な数に上ったのです。これは、一人一人それぞれの能力にあった教えを説かれたからです。このことを他の人(説く相手)に随って説いたお経、「随他意(ずいたい)」の教えといいます。 しかし、法華経は、それらと区別され、お釈迦さま自身が自分の心だけに随って悟りのすべてを示された教え、「随自意(ずいじい)」の教え、といいます。 その膨大な教えの中でも晩年の八年間を費やされ、ご自身の心の内をすべて説かれた、ということだけを考えても法華経という経典の大切さを知ることが出来るのではないでしょうか。 それではいよいよその内容に入っていきたいと思います。 |
|
法華経のおはなし 其の二
サッダルマ・プンダリーカ・スートラ Saddharma-pundarika-sutra 序品第一 |
| お釈迦さまは、四十二年かかって衆生(人々)の心を養育され、やっとご本意の法華経を説ける時が来たので、舎利弗(しゃりほつ)さまや、目連(もくれん)さまなど何千何万という弟子をお集めになりました。 そして、静かに霊鷲山(りょうじゅせん)の説法座におのぼりになりました。どんなお説教が始まるのかと聞き入っている弟子たちに説きだされたのは、「四十余年 未だ真実を顕されず」 すなわち、これまで永きにわたって説いてきた教えは方便だった、これから説く教えこそ、方便を捨てた本当の教えである、という事でした。 集まっている弟子たちは、「皆これ阿羅漢(あらかん)なり」といって煩悩(ぼんのう)を断ち、また六神通 という力を持った特に有能な人たちばかりでしたから、それこそアッと驚き、動揺しました。 しかし、お釈迦さまのほうでは、そのまま、「無量義処三昧(むりょうぎしょざんまい)」という、身心不動(しんじんふどう)の瞑想に入ってしまわれました。 その時、弟子たちの心を和らげるため、天から紅白の美しい華が降り、また動揺を取るため、大地がグラグラと六通 りの揺れ方で振動しました。 華で与えて、地震で奪う、この仏さまの神変によって、すっきりした心となった弟子たちは一心に合掌してお釈迦さまのお顔を拝みました。 すると、お釈迦さまの眉間に白い毛、白毫(びゃくごう)(仏像では眉間に珠玉 がちりばめてある)から光が出てきました。 その光は、地獄の世界・餓鬼の世界・畜生の世界・修羅の世界・人間の世界・天上の世界の六つの世界を生まれ変わり死に変わりしている人間の有様を照らし出し、それぞれの国の仏さまが教え導いているところや、僧侶や信者さん菩薩さまたちが修行しているところ、また仏さまがお亡くなりになった後に舎利(ご遺骨)を供養する七宝の塔までお見せになりました。 これを一部始終見ていた弥勒菩薩さま(みろくぼさつ)をはじめ弟子たちは、「何の因縁をもってこの瑞ある」と言って、なぜお釈迦さまがこの瑞相(ずいそう)をみせられたのか、という疑問を抱かれ、智慧(ちえ)をつかさどる文殊さま(もんじゅ)に質問いたしました。 すると、文殊さまは、「われ過去の諸仏において、かつてこの瑞を見たてまつりしに、この光を放ちおわって、すなわち大宝を説きたまいき。」と、大昔の日月灯明仏(にちがつとうみょうぶつ)という仏さまのことを話され、あの時も仏さまは瞑想に入られ、眉間より光を放たれたから、お釈迦さまもきっとこれより妙法蓮華経という大法をお説きになるに違いない。 だから、皆さんもそのつもりになって、合掌して次の説法をお待ちなさい、と答えられました。(つづく) |
|
「善き友」
水は方円の器に従い、人は善悪の友に依る |
| 経典の始まりは、殆どと言っていいほど「如是我聞(にょぜがもん)」ではじまる。 「是(かく)の如き(ごとき)を我れ聞きき。」このように私はお釈迦さまからお話を聞いた、ということである。 その言葉につづいてお釈迦さまはどこどこにおられ、ご一緒の弟子は誰々であった、などということが語られる。 しかし、これを語るには、常時お釈迦さまとご一緒にいなくてはならない。その役割を二十余年にわたってつとめたお弟子が「多聞第一(たもんだいいち)」と称される「阿難尊者(あなんそんじゃ)」である。 「法華経」もその例外ではなく、「如是我聞(にょぜがもん)」からはじまり、その「我(われ)」とは、「阿難尊者(あなんそんじゃ)」のことを差す。 阿難尊者(あなんそんじゃ)は、お釈迦さまのお説法をただ聞くだけではなく、常日頃考えていることを申し上げて、それについてのご批判を受けることもある。 たとえば、「お釈迦さま、わたしどもが善き友を持ち、善き仲間の中にあるということは、すでにこの聖なる道(仏道)のなかばを成就したに等しいと思われます。このことはいかがでありましょうか。」 お釈迦さまは、「阿難(あなん)よ、それはちがう。そういうふうに考えてはならない。阿難(あなん)よ、善き友を持ち、善き仲間の中にあるということは、この聖なる道のすべてである。そのように考えなければならない。」 この答えは、阿難尊者(あなんそんじゃ)にとって、まったく意外な言葉であった。この道のなかばと言っても、すこし言い過ぎではないかとさえ思えていたのに、師の答えは、この道のすべてであるという。そのことを理解しかねて怪訝(けげん)な顔をしていると、お釈迦さまは更に、「阿難よ、それは、このことを考えても解るではないか。みんなは、わたしを善き友とすることによって、老いねばならぬ 身でありながら、老いより自由になることができるではないか。病まねばならぬ 身でありながら、病に勝つことができるではないか。あるいはまた、死なねばならぬ 身でありながら、死のおそれから免れることができるではないか。 阿難よ、このことを考えてみても、善き友を持ち、善き仲間のなかにあるということが、この聖なる道のすべてであるという意味が解るではないか。」 この善き友のことを仏教では「善知識(ぜんちしき)」といい、自らを悟りの道へと導いてくれる人を指す。 日蓮聖人(にちれんしょうにん)は、この「善知識(ぜんちしき)」を大きく二つにわけられている。一つは、法華経という経典が善知識であること。 もう一つは、日蓮聖人を法難に導いた者、法難を加えた者を「善知識」といわれている。なぜなら、その法難こそ、法華経を信仰する者が必ず遭遇する難であり、その難があったからこそ自ら法華経を体験することができたからである、と受け取られている。 わたしたちはつい、「善き友」というものを考えるとき、自分に対して、優しい人、利益(功利的)のある人、褒めてくれる人を指してしまいがちだが、本当の「善き友」は、もっと他にいるかもしれない。 |
|
|
|
Copyright (C) 2001 日月光明舎
All Rights Resreved.
|