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【るふNo.150】「法華経のおはなし其の五、其の六」「三界に家なし」 平成12年1月1日発行
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法華経のおはなし 其の五
サッダルマ・プンダリーカ・スートラ Saddharma-pundarika-sutra 譬喩品第三 (一) |
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法華経のおはなし 其の六
サッダルマ・プンダリーカ・スートラ Saddharma-pundarika-sutra 譬喩品第三 (二) |
| 法華経の中には、全部で七つの譬(たと)え話が説かれています。その一番目が「三車火宅(さんしゃかたく)の譬え」と呼ばれるものです。これは仏さまが、「一仏乗(いちぶつじょう)」という教えを説かれたことによって、疑惑を抱いてしまった弟子たちに理解させるために説かれたものです。 「昔、ある所にたいへんお金持ちの長者がおりました。年は八十近くで数えきれないほどの財産を蓄え、たくさんの子供を作り、大勢の使用人をかかえていました。 しかし、その家は古く、壁は落ち、柱の根は腐り梁棟も傾き、危険な状態になっていました。 そんなある日、その家の一角から火を出し、たちまち燃え広がってしまいました。長者は、さいわいに門から逃れることができたのですが、子供たちは遊びに夢中になって火が身に迫っていることにも気づかず、いっこうに火宅から出ようとしません。しかも、不便なことにこの家には狭い門が一つしかありませんでした。 長者はそんな恐怖の中、このように思いました。 『この舎(いえ)すでに大火(だいか)に焼(や)かる。我れおよび諸子(しょし)、もしときに出でずんば必ず焚(や)かれん。我れ今まさに方便を設けて、諸子等をして、この害を免(まぬ が)るることを得せしむべし。』 (この家はもうすぐ大火に焼かれようとしている。私や子供たちも、適当な時に出なければ、かならず焼かれてしまう。私は今、手だてを設けて、子供たちをこの災難から逃れさせてやろう) そこで父である長者は、子供たちが各々ほしがっていた種種の珍しい玩具には、心を奪われて執心するであろうと知って、 『汝等が玩好(げんこう)するところは希有(けう)にして得難(えがた)し。汝もし取らずんば後にかならず憂悔(うけ)せん。かくのごとき種種の羊車(ようしゃ)・鹿車(ろくしゃ)・牛車(ごしゃ)、いま門外(もんげ)にあり、もって遊戯(ゆけ)すべし。』 (お前たちが好む玩具はまれにしかなくて、手に入れることが難しいものだ。お前たちがもし取らなかったならば、後にかならず悔しい思いをするだろう。そんなさまざまな、羊の車・鹿の車・牛の車が今、門の外にある。それで遊ぶがよい。) と、父である長者が呼びかけると、今までいくら呼びかけても火宅から出ようとしなかった子供たちが、競って出てきたのでした。子供たちは、父に早く玩具をくれるようにねだると、長者は羊や鹿や牛の車ではなく、各々にもっと立派な大車を与えたのでした。それは、高く広く、多くの珍しい宝で美しく飾り、大変な力を持っている大きな白い牛がその車(大白牛車(だいびゃくごしゃ))を引いているものでした。 譬え話のあらすじは、以上のようなものですが、この話に出てくる、「羊や鹿や牛の車」は、それぞれ、声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩乗(ぼさつじょう)を譬えられたものであり、「大白牛車」は、それらの三車を廃した一仏乗の妙法蓮華経を譬えられたものです。さらに、この「広大な古い家」は私たちの住む世界あらわし、「一つの門」とあるのは、仏の教えの門です。「子供たち」は、私たち一切衆生のことで、「三車による誘い出しの一策」は、四十余年の方便の説法(妙法蓮華経が説かれるまでのすべてのお経)を示しています。そして、「父である長者」が仏さまであることはいうまでもありません。 このように譬喩品(ひゆほん)は、小乗の悟り(自分だけが仏になろうとする教え)に執している阿羅漢(あらかん)たちに、大乗一実の妙法蓮華経を説いて、仏になる道を説かれたものです。 |
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三界に家なし
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| 古来よりこのような言葉があります、「三界に家なし」・・・三界というのは欲界(よくかい)・色界(しきかい)・無色界(むしきかい)のことで、私たちの住んでいる世界をあらわしています。 すなわち、私たちの世界はどこにも本当に落ち着いて住めるところがないということをあらわしたのが「三界に家なし」という言葉です。 これを法華経では「三界の朽(く)ち故(ふ)りたる火宅(かたく)」と表現されています。 わたしたちは、生きている以上、さまざまな苦しみがつきまといます。 年老いる苦しみ(老)・病気(病)・死ぬ苦しみ(死)・憂い(うれい)・悲しみ・苦悩・愚痴(ぐち)・貪り(むさぼり)・怒り・・・これらの苦しみを「火」としてあらわされたのです。 私たちは、こんな世界の中にあっても、その苦しみに気がつかないばかりか、酒を飲んだり、ギャンブルをしたり、果 てには危険な薬物に手を出したりしてしまいます。しかし、苦しみをまぎらわすために求めた楽しみは、本当の楽しみではありません。それはまさに「三車火宅(さんしゃかたく)の譬え(たとえ)」にあるように、火が燃えている宅で危険なことも知らず、遊びに夢中になっている子供そのものではないでしょうか。 この「三車火宅の譬え」が説かれた「譬喩品(ひゆほん)」の最後のほうには、この火宅がもっと詳しく述べてあります。 その宅には、トビ・フクロウ・クマタカ・ワシ・カラス・カササギ・ヤマバト・イエバトなどの鳥たちの他に、トカゲ・ヘビ・マムシ・サソリ・ムカデ・ゲジゲジ・イモリ・オサムシなどの虫たち、コギツネ・オオカミ・イタチ・クロイサル・タヌキ・ハツカネズミ・ネズミなどの動物、たくさんの悪虫の類が、勝手気ままに邸内をとびまわっている、と説かれています。 これらは一体何を譬えられているのかと申しますと、私たちのわがままな自分中心の心『我慢(がまん)』やうぬ ぼれの心を動物に当てはめられたものです。 私たちは、すこしおだてられると有頂天になってまるで高い所を飛んでいる鳥のような気持ちになりがちです。そんな心をトビやフクロウなどの鳥類に譬えられているのです。 では、マムシやサソリは何でしょうか。これらは毒で刺す虫です。 すなわち、私たちの『瞋(いかり)』という心をあらわされたものです。『瞋』の心があらわれると、自分を押さえきれなくなり人を傷つけたくなったり、時には殺意さえも芽生えてしまいます。そんな『瞋』の心を毒に譬えられたのです。 また、イタチやネズミなどの動物は暗い穴に入って生活をしています。これは、世の中をよく知らない愚痴の者、道理を知らない『愚痴』に譬えられました。 さらに、キツネやオオカミなどの動物は食物の取り合いをし、互いに吼え合います。これは、『貪欲(どんよく)』という心と猜疑嫉妬(さいぎしっと)の『疑(うたがい)』を譬えられました。 私たち人間というものは、多かれ少なかれ以上のような貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(まよい)・慢(おごり)・疑(うたがい)という心を持っているものです。仏さまは、こんな苦しい世界にいることに一刻も早く気づき、仏さまの世界にいけるように願われているのです。 |
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表紙絵「不動明王」
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| 不動明王は平安時代初期以来の密教の盛行とともに、種々の異形を生じながら尊像が数多く作られ、種々の煩悩を焼き尽くし、悪魔を降伏し、行者を擁護して菩提を得させる明王として信仰されています。 |
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