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[2001年9月] 
-3日-
9月に入って急に寒さを感じます。
こんなはずはない「暑さ寒さも彼岸まで」といいますから、彼岸が過ぎなければこの寒さになるはずはない。
と言ってみたところで、本当に肌寒い京都です。
今日3日から、京都の大本山本圀寺で、「布教院」が始まりました。
布教院というのは、布教師を養成するための15日間の研修機関です。
全国から集まった40名の院生が本圀寺の本堂で勢揃い。
開会式には来賓も席を連ね、なかなかの圧巻でした。
日蓮宗が誇る、伝統的な高座説教で、日蓮聖人の生涯を語る「くり弁」という布教法もマスターします。
高座説教は最近はすっかり減りましたが、この期間は毎日本圀寺で聞けます。
早起きに自信のある方は、朝7時半に是非本圀寺へ行ってください。朝粥も出ます
早起きに自信のない方は、12日午後1時に本圀寺へどうぞ。
場所は山科区御陵大岩、地下鉄東西線「御陵(みささぎ)駅2番出口」から徒歩5分?
仏さまの教えに限らず、何事も自分に求める気持ちが無ければ、手に入れることは出来ません。
もっとも、求める気持ちがあっても、手に入らないものも有りますが。
でも仏様の教えは、必ず手に入れることができるのです。
何千年もの歴史を刻んできた仏教の神髄を、是非手に入れていただきたいと思います。

-5日-
今日も涼しい京都です。朝夕は特に涼しく、夜は秋の虫が鳴いています。
庭に作った「スズメのおやど」も大繁盛、毎日食事時には20匹以上のスズメが来てにぎやかなこと、部屋を増設しなければならないかな、と思うほどです。
日が短くなったので、スズメの夕食も早めに用意しなければならないので、宿屋の主人も大変です。
もっとも予約制ではないので、餌を忘れていても苦情がなく、小鳥を飼うならスズメに限ると「お宿を」出入りするスズメを眺めて楽しんでいます。
バードカービングという彫刻に挑戦して、スズメを彫りました。
これが結構上出来で、梅の枯れ枝を磨いて置物に仕立ててスズメを留め、ついでに以前彫刻したトンボや蝉も取り付け、昨日はテントウムシまで彫って、今は床の間の飾り物になっています。
先日身延山へ行く途中、友人の建築中の法蔵寺さんへお邪魔し、木切れをもらって帰り、今度は仏像彫刻に挑戦です。
見ているだけでは気が付かなかった仏像の細かな特徴が、彫刻することで色々発見出来ます。
花や虫もそうですが、絵に描いたり刻んだりすることで、本当の姿が見えてくるように思います。
毎日見ているものでも、見ているようで見ていないものですね。
見るという字は「見る」「観る」「看る」「診る」「視る」などとと色々あるのも、見るという行為が単純なものでは無いからでしょう。
仏像の額にある「白毫」と呼ばれるほくろのように見えるものも、仏眼で見る事をあらわしているのでしょう。
眼を閉じた方が、物がよく見える場合が有ります。
仏像が「半眼」と呼ばれる薄目に刻まれるのも、肉眼で見るだけでなく、心の眼でも見ることを教えて くれているのです。
秋の夜長、心の眼で自分を見つめてみるのも良いのではないでしょうか。

-13日-
テレビに釘付けになりました。高層ピルのもろさを目の当たりにして、私たちの平和に関する思いも同じように、実にもろいものなのだろうと実感しました。
無差別テロが重罪であることは言うまでもありませんが、テロ行為を行った側にもそれなりの言い分があって、私たちがどちらが悪いと決めつけることは大変難しく、危険だと思います。
今後はますます民族意識がたかまり、それはそれで良いことだけれど、悪くすると、「自分たちだけが選ばれた民で、それ以外は服従しない限り全滅させる」という危険な思想に結びつきやすくなります。
これは一神教の宿命のようなもので、極端にいうと、「自分の信ずる神以外は悪魔であるという」ような考え方に偏ってしまう危険があるのです。
中近東の紛争は、紀元前から続く宗教戦争が尾を引いているので、仏教的な考え方をする者にとっては大変理解しにくい争いです。
「十戒」という映画で有名になったモーゼがヤハウェ神の啓示を受けたとき、ユダヤ教が始まり、キリストが産まれて「ヤハウェ神の子」だという考え方からキリスト教がうまれ、それを認めないユダヤ教とキリスト教の争いが起こり、第三の男マホメットがメッカに誕生してアラー神の啓示を受け、これこそ神の最後の啓示であると主張するイスラム教が争いに加わり、同じ神をいただきながら三つどもえの争いが今に続いているのです。
湾岸戦争がそうであったよう、この三つの宗教の歴史をふまえて今回のテロ事件を考えないと、「気の狂った人間がおこした無差別殺人」のような単純な事件に思ってしまい、感情論で復讐心に燃える危険な考え方になってしまいますので、冷静に分析し、戦争に発展しないような解決策を見つけてほしいものです。
私の持論は、一神教に固執するのではなく、仏教的な思想に立たなければ、世界の平和は実現出来ないと思います。
各民族が信奉する神々が、宇宙の法則の元にそれぞれの国や人々を守ってくれているという、曼陀羅世界を理解して、それぞれの神を通して宇宙の真理にめざめ、選民意識を捨てて動物や植物の命を含めた絶対の平等観をもたなければ平和は実現出来ないのです。

-17日-
布教院が終わりました。
15日間にわたるお説教師さんの養成講座で、40人のお坊さんが研修を終えられました。 アメリカでは兵隊を募集し、アフガンも戦闘態勢。世界を巻き込む戦争に発展しそうな、イスラム対キリストの戦いになりそうです。
世界は想像できない勢いで変化し、戦争もいままでのものとは違う形になるのでしょう。 湾岸戦争はテレビゲームのように感じたものでした。
これからは「民族」と「宗教」がキーワードとなる時代で、しかも一つの国土に他民族が同居し、多国籍化して怨憎会苦や愛別離苦を耐えなければならない時代になるでしょう。
それに耐えられない人は、異民族を追い出し異教徒を殺害しようとする、かつての十字軍やヒトラーがおこなった、愚かな行為を繰り返すことになるでしょう。
タリバンが行おうとし、行っていることが、仏教の視点からみれば愚かな行為であり、アメリカの大統領の発言は、仏教の視点からみれば、自ら修羅・地獄への道を歩み出そうとしていることになります。
人殺しや泥棒はあってはならないことですが、撲滅できないように、テロはあってはならないことですが、撲滅は無理です。
撲滅するには人類が地上から消える以外にないでしょう。
泥棒にあわないためには、鍵や金庫など用心のための心配りをするように、テロを起こす気持ちを起こさせないための心配りのある政治を行うしか方法がないと思います。
武力に対して武力で返すのは、仏教から言うとなんの解決にもならないのです。
四苦八苦を解決しなければ、争いは消えない、そんな仏教精神を伝えるためのお説教師という、人を活かすための兵隊さんが、今日全国へ帰って行かれました。
心の魔軍をうち破るための戦いで大いに活躍してくださることを期待します。

-23日-
暑さ寒さも彼岸までとはいうけれど、今年は寒さが早く来たように思います。
彼岸が来ると彼岸花が必ず咲いてくれるのも不思議です。
植えた思いはないけれど、庭のあちこちから顔を出している。
「彼岸」の反対語は「此岸」、此岸は悩みや苦しみを感じている時、彼岸は苦しみから解放された時、 迷いの岸と悟りの岸の意味なのです。
それが、「生きている世界」と「死後の世界」と解釈され、先祖供養と結びついた、日本独特の仏教行事です。
春と秋の二回、昼の長さと夜の長さが同じ中日を挟んで、前後3日間が彼岸、彼岸の入りから結岸(けちがん)まで、これは悟りを得るための六つの修行を毎日実践しようということから定められたのでしょう。
六つの修行は、布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・禅定(ぜんしょう)・智慧(智慧)をさします。
この六つの修行を皆が心がければ、テロも報復もない世界が実現できるのですが、怨みや憎しみの此岸で生きている今の世界の情勢では、いつ彼岸へ渡れることやら、心配な事です。

-26日-
今日は、モラロジーという団体に講演を頼まれて、二時間ばかり話をしてきました。
題名は「日本から消えた日本人と老人」ということで話しました。
参加者は六十名ほどで、平均年齢は70歳ということでした。
昔は60歳が老人でしたが、今は70歳でも若いと思っています。
20代の人から見れば、50歳でも充分老人ですが、本人はそうは思っていません。
肉体年齢は若くて良いのですが、精神年齢まで若くなってしまったことは困ったことです。
老人というのは、若い人たちの人生の手本となり、礼儀やしきたりなどを指導してくれる人でした。
今は年齢的に老人であっても、若い人たちの指導者となる老人が居なくなりつつあります。
原因の一つは核家族にあるのですが、もう一つは指導よりも自分の生活をエンジョイすることが人生を楽しむことだという風潮がまん延してしまっていることです。
若い人もそうで、子育てという大切な仕事を放棄して、自分が楽しむために子供を犠牲にする親までが増えてしまいました。
人生の楽しみは、人を育てることだという気持ちが大切です。
人の役に立つ生き方が、人生最大の楽しみであることに日本人は気が付かなければならないのです。
日本の文化は、「和」という言葉で代表されるように、全ての人々と「和」を持って生きることでしたが、今は「自己中心」の人が増えてしまいました。
世界の情勢は、戦争に向かっている気配です、日本は「和」を持って解決することに全力投球してほしいと思いますが、どうもアメリカの言いなりにアメリカの味方をすることに努力しているだけのように思えて心配です。
アジアの多くの人は、日本はアジアの中のアメリカのようだと見ているようです。
なぜアメリカがテロに会わなければならないのか、という反省がアメリカにない限り、今回テロ撲滅に全力投球したところで、別のテロリストを育てるだけのことになるでしょう。
それに対して、無分別にアメリカに追従することが本当に日本が世界に貢献する道なのだろうか。
政治の難しいことは解りませんが、日本らしい態度で世界に対してほしいものです、

 
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