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| [2001年10月] |
| -8日- |
| 身延山へお参りに行きました。 といっても、一泊二日の檀信徒特別研修に参加するために行ったのです。 身延山久遠寺は、日蓮聖人が弟子の教育に専念された地であり、日蓮宗の総本山でもありますから、ここで研修を受けると、本当に日蓮聖人と共に修行しているような実感が得られ感激します。 私は東谷の大善坊さんに泊めていただいたので、本堂まで歩くにはちょっと遠く、30分もかかりました。 胃ガンの手術をして三月に退院いらい、これだけの坂道を長時間歩いたのは始めてで、ちょっと心配をしましたが、何とか二日間修行させていただくことが出来ました。 本山の朝のお参りや、日蓮聖人のお墓である御廟所への参拝など、広い身延山を歩き回らなければなりませんが、これがやはり聖地の良さで、疲れを感じるどころか、日蓮聖人も歩かれた場所だと思うと、疲れよりも感激を感じるのです。 人間というのは、気持ちの持ちようで、つらく感じたり有り難く感じたりするものですね。 これも人間と動物の違いの一つかもしれませんね。 人に生まれた以上、不平不満で生きるより、感謝と感激の生涯を送りたいものです。 |
| -14日- |
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すっかり涼しくなり、庭のコスモスが風に揺れている姿を見ていると、幸せ感に満ちあふれます。 でもテレビでは、アフガンの戦争のニュースで、悲しくなります。 人間はなんと愚かな生き物なのでしょうね。 その愚かな生き物も、考え方をちょっと変えると、素晴らしい生き物になるのにね。 仏教では、三毒といって、人間を不幸にする「毒」を持っているというのです。 それは「貪(トン)」「嗔(ジン)」「痴(チ)」といって、「むさぼり」と「いかり」と「ぐち」だというのです。 今回のテロは、大国への不満である「痴(ぐち)」が「嗔(いかり)」となって現れたものでしょう。 アメリカは、その行為に「嗔(いかり)」をもって報復しています。 一連の事件のおおもとは、大国による石油覇権に対する「貪(むさぼり)」が原因でしよう。 日本も「貪(むさぼり)」の心が収まらず、不景気不景気と騒ぎ立てていますが、アフガンやアフリカなどの国の人たちの生活を思うと、不景気どころか贅沢すぎると思うのですが、何を求めているのでしょうかね。 自衛隊派遣も本当に必要なのかどうか。難民救済といいつつ、「貪(むさぼり)」の心によるアメリカへのゴマすりでなければ良いのですが。 イギリスの行為も、終結後の覇権を有利にしようとする「貪(むさぼり)」の心が見えるような気がします。 かわいそうなのは板挟みに悩むパキスタンの人々です。 一日も早く、アメリカやアフガン・パキスタンなど関係各国の人々が、野に咲く花に眼をとどめて幸せ感にひたれる時が来ることを祈る思いです。 |
| -25日- |
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10月17日、本山立本寺の加藤日祥貫首が遷化(せんげ)されました。 検査入院と聞いていたのですが、お見舞いに行く間もなく、突然の死亡連絡があり、驚きました。「出る息は、入る息を待つことなし、老いたるも若きも定めなき習いなり」と日蓮聖人がおっしゃっていますが、本当に命のはかなさを感じました。 私18日から埼玉県と横浜に所用があり、通夜も20日の密葬もお参りすることができませんでした。 22日に京都へ帰った日が初七日(しょなぬか)で、やっと貫首様のご冥福を祈ることができました。 胃ガンの手術をして以来、死を身近に感じるせいか、人の死を通じて自分の死を考えるようになりました。 日本では、「死は縁起(えんぎ)が悪い」と言いますが、良いも悪いも、誰にでも訪れる自然現象です。 仏教は「生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)」という人間の根本苦(こんぽんく)から解脱(げだつ)する教えです。 死が縁起が悪いとか、不幸なことだと考えるのは、地位や名誉や財産に執着(しゅうじゃく・しゅうちゃく)しているからで、執着から解放(解脱)されたとき、生(せい)も死も超越して、本当の自由を満喫できると説きます。 今私も胃ガンの手術を通じて、執着の一部から解放され、なんとなく、ちょっぴり自由を楽しめるような気分になることができ、病気に感謝しています。 人の死に出会ったとき、単なる弔問で終わらせるのでなく、その人の死から何かを学び取ることが、亡くなった人への最高の弔意になるように思います。 ひょっとしたら、命を掛けて私たちに人生のなんたるかを教えてくださっているのかもしれません。 |
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